スタートアップエコシステムの関係者の多くにとって、2024年はAI技術の進化に関する話題に事欠かない年となっただろう。資金調達環境においては、欧米市場が冷え込む中、対前年で落ち込んだ2023年から回復し、実績のあるスタートアップに資金が集まる傾向が見られた。
KEPPLEでは、2024年の振り返りと2025年の展望について、スタートアップ投資家複数名へのアンケート調査を実施。今回は、日本やアメリカ、インド、東南アジアなど世界各地で100社以上のスタートアップ投資を行う「BEENEXT」を設立し、2019年にSaaSベンチャーに特化して支援を行う「ALL STAR SAAS FUND」を立ち上げて以降、マネージングパートナーとしてスタートアップ投資や支援を行う前田 ヒロ氏の回答を紹介する。
革新的なスタートアップ創出に資本と人材の流動性を
――2024年を振り返って、最も印象的だった出来事を教えてください。 (例:注目されたビジネスモデル、生成AIの勃興、政策・規制など)
2024年は、テクノロジー業界において大きなパラダイムシフトが起きた年として記憶されるでしょう。特に注目すべき現象として「SaaS is Dead」という考え方が広がりを見せました。これは従来のSaaSモデルが、急速に進化する生成AI時代において再考を迫られていることを示唆しています。
かつては「クラウドソリューションを導入すれば生産性が向上する」という単純な図式が成り立っていましたが、ChatGPT、Claude、Geminiなどの大規模言語モデル(LLM)の進化により、ソフトウェアに対する考え方そのものが根本から変化しています。
特に注目すべき点は、従来型のSaaSが提供していた機能の多くがAIによって代替可能になってきていることです。例えば、カスタマーサポート、データ分析、コンテンツ作成といった領域では、AIツールが従来のSaaSの機能を上回る性能を発揮し始めています。これにより、ソフトウェア企業は単なる機能提供から、AIを活用した高度な問題解決や意思決定支援へとビジネスモデルをシフトする必要性に直面しています。
――2024年の調達環境の変化をどのように捉えていますか?課題や気づきがあれば教えてください。
2024年の調達環境は、グローバルな金融政策の変化と急速な技術革新の波が重なり、従来にない複雑性を帯びた様相を呈しています。特に顕著な変化として、スタートアップの企業価値評価における基準の多様化が挙げられます。
同一企業に対する評価において、投資家間で想定されるバリュエーションの幅が過去に比べて大きく広がっている状況が見られます。これは主に以下の要因によると考えられます:
1)金利環境の変化による将来キャッシュフローの現在価値の再評価
2)AI技術の急速な進展がもたらす市場機会の不確実性
3) 従来の収益モデルの有効性に対する見方の変化
特に、AI関連技術を持つスタートアップについては、その技術的優位性や市場性の評価が投資家によって大きく異なり、結果として同じ企業に対する最低バリュエーションと最高バリュエーションの差が顕著になっています。
このような状況下では、スタートアップ側も従来の調達戦略を見直す必要性に迫られています。単純な成長指標やマーケットシェアだけでなく、技術的差別化要因や持続可能なビジネスモデルの構築に、より重点を置いた説明が求められるようになっています。
――2025年に注目するセクターとその理由を教えてください。(海外トレンドや国内の動向なども含めて)
2025年に注目すべきセクターとして、特にエンタープライズ向けAIソリューション分野が挙げられます。これは単なるAIツールの導入を超えて、組織の業務プロセスを根本から変革する可能性を秘めています。
特に注目すべき領域は以下の3つです:
第一に、高い精度と正確性が要求される業務領域でのAI活用です。例えば、金融機関のコンプライアンス業務や医療機関での診断支援システムなど、ミスが許されない分野でのAI導入が進むと予想されます。これらの領域では、LLMの活用だけでなく、専門知識を組み込んだハイブリッドなアプローチが重要になってきます。
第二に、組織間や企業間を横断するワークフローのデジタル化です。この分野では、単にLLMを導入するだけでは十分な解決とはなりません。重要なのは、人間とAIの適切な役割分担、そしてそれを支える洗練されたUI/UXの設計です。例えば、サプライチェーン管理やクロスボーダー取引などの複雑な業務プロセスにおいて、AIがどの部分を自動化し、どのタイミングで人間が介入すべきかの設計が成功の鍵となります。
第三に、AIを活用したナレッジマネジメントの革新です。企業内に蓄積された膨大な情報を効果的に活用し、意思決定に活かすためのソリューションへの需要が高まると予想されます。これには、データの構造化、セキュリティの確保、そして使いやすいインターフェースの提供が不可欠です。
――2025年の資金調達環境について、どのような見通しを持っていますか?また、スタートアップが備えておくべきポイントは何だと思いますか?
2025年の資金調達環境について、過去10年とは異なる新たな評価軸や期待値の変化が予想されます。特に注目すべきは、企業の収益性と規模に対する市場の見方の変化です。
まず、上場時期や規模に関する市場のセンチメントが大きく変化しています。過去のような「とにかく早期上場」という考え方から、より持続可能な成長モデルを重視する傾向が強まっています。特にSmall Cap(時価総額の小さい企業)に対する市場の評価基準が厳しくなっており、単なる成長性だけでなく、収益力や事業モデルの持続可能性がより重視されるようになっています。
また、赤字企業に対する投資家の態度も大きく変化しています。かつての「成長投資のための赤字は許容される」という考え方から、「いつ、どのように利益を生み出すのか」という具体的な道筋を求める傾向が強まっています。これは、グローバルな金利環境の変化や、テクノロジー企業の収益モデルに対する理解の深化が背景にあります。
――「スタートアップ育成5か年計画」発表からの2年を振り返り、2027年度に国内で10兆円規模の投資額を実現するうえでの課題や、必要なピースは何だと思いますか?
「スタートアップ育成5か年計画」の中間地点を迎え、2027年度までに国内スタートアップへの投資額10兆円という目標に対して、現状は大きなビハインドが生じていると言わざるを得ません。この目標達成のためには、エコシステム全体の抜本的な改革と加速が必要です。
最も重要な課題は、革新的なスタートアップの絶対数が不足していることです。10兆円規模の投資を受け入れるためには、質の高いスタートアップの継続的な創出が不可欠です。これには、資本と人材の流動性を高める施策が重要な役割を果たします。
具体的には、まず資本の流動性向上に向けて、機関投資家のスタートアップ投資への参入促進や、IPO・M&Aなどのエグジット手段の多様化が求められます。特に、年金基金や生命保険会社などの機関投資家による投資拡大は、市場に大きなインパクトをもたらす可能性があります。
人材の流動性については、大企業からスタートアップへの人材移動を促進する仕組みづくりが急務です。例えば、副業・兼業の促進、ストックオプション制度の拡充、そして失敗を許容する文化の醸成などが重要な要素となります。
また、スタートアップの創出を加速するためには、教育機関との連携強化も不可欠です。大学発ベンチャーの支援強化や、起業家教育の充実により、若い世代の起業マインドを育てていく必要があります。
これらの取り組みを総合的に推進することで、より活力のあるスタートアップエコシステムの構築が可能となり、10兆円という目標達成に向けた現実的な道筋が見えてくるのではないでしょうか。